見えない事   2016.4/7


・考え事にもどる

   
 
 例えば、原発だが。ひとたび事故が起きれば、致命的な事になるのはフクシマで証明されたとおり。ところが、絶対安全だと主張していた人たちも、「想定外だった」とか言って、真剣に謝らない。困ったものだ。

 当たり前だが、「絶対」ということはあり得ないので、今後もいつかまた事故は起きるだろう。その時、また沢山の人命が失われるだろう。

 が、しかし、失われる人命の故に原発を廃止しても良いのか。原発を廃止したら、命は失われないのか。

 原発を廃止して、火力発電所が増えて、経済が悪化した場合、環境の悪化や貧困の故に失われる命もあるだろう。

 原発の事故による死亡者は、キッチリ正確ではないかも知れないが、およそは数えられる。

 一方、環境の悪化や貧困による死亡者は明確な数を見積もる事は難しい。失われた命のうち、どれ程が「原発があれば助かった命なのか」計算するのはさらに難しい。それは統計的な問題だから、目に見えない。

 目に見えないが、存在するだろうという事は、容易に想像できる。

 ゼニカネより命の方が大切だ、としても、本当に原発がない方が、失われる命が少なくてすむのかどうか。

 不確定要素が多すぎて、実際、計算は出来ないが、「ゼニカネより命の方が大切だから廃止すべきだ」という主張のしかたは、正しくないような気がする。