小谷城は五大山城(浅井氏の小谷城、六角氏の観音寺城、上杉氏の春日山城、畠山氏の七尾城、尼子氏の月山冨田城)の一つだ。城跡には浅井長政と家臣の慰霊碑がある。

 長政は織田信長の妹お市を妻としたが、義のために信長と対立し、姉川の合戦で死んだ。

 信長はこれをひどく恨んで、長政のしゃれこうべで杯を作り酒を酌んだ話は有名だ。
 思えば明治以降、信長や秀吉、家康を英雄視する風潮が強くなり、その敵を過小評価する傾向がある。

 特に明智光秀などは主君殺しということで、すっかり悪役にされてしまった。光秀が優れた武将であったことは記録も多いが、忠君愛国思想の中では「悪役」のレッテルを貼られることになったのだろう。
 浅井長政も信長中心の歴史小説などでは悪役だったりする。越前朝倉との盟約と、信長の野望の間にはさまれて、無駄に滅びた不器用な人間だったのかも知れない。

 悪役と言えば、豊臣秀吉の側室の淀殿は浅井長政の娘だ。淀殿は大阪城落城、豊臣家を滅亡させた悪女と言うことになっているが、これも徳川幕府のシナリオによる「作られた歴史」だという説が有力になってきている。