柳ヶ瀬トンネルの敦賀側の入り口のすぐそばに林道の入り口があって、「玄蕃尾城」との案内がある。以前からそこを通る度に、「一度行ってみたいものだ。」と思っていた。

 林道の終点はちょっとした広場で、整理すれば車が10台くらいは置けるだろう。
 登り始めて10分もしないうちに久々坂峠(刀根越え)に着く。ここは十字路で、玄蕃尾城へ0.5km、行市山砦へ3.5km、駐車場へ0.2km、柳ヶ瀬へ1.3kmと案内がある。

 ネットで探すと、行市山への尾根道は2004年に整備されたとあったが、見たところ草に覆われている。
 賤ヶ岳の合戦は、織田信長亡き後、二大勢力の豊臣秀吉と柴田勝家が争い、秀吉の天下取りが完成した重要な戦いである。

 信長の妹のお市は、夫浅井長政を姉川の合戦で、再婚した柴田勝家を賤ヶ岳の合戦で、両方とも秀吉に殺されている。

 お市の娘の淀殿が秀吉の側室になりながら、秀吉を母の仇と恨んでいた可能性はある。この恨みが大阪城の堀を埋め、落城につながったと考えられなくもない。
 玄蕃尾城址はかなり広く、山中なのにずいぶんきれいに整備されていて気持ちがよい。キャンプでもしたら最高だなあと思う。

 ただし、熊の足跡をいくつかみつけたので、そういうのが苦手な人は一人で行かない方がよいかもしれない。
 玄蕃尾城からの移動に手間取って、現地説明会に遅刻してしまった。2〜300人くらいの人だろうか。バスで乗り付けたグループもある。雑談を聞いていると、ずいぶん遠くからも来ているようだ。

 大川の河口を浚渫していて見つけたらしい。こんな立派な遺跡を発見して知らん顔もできず、工事が滞って困っているそうだ。
 これが問題の木簡。ずいぶん大きい。大きい物は2mくらいある。普通持っている「木簡」のイメージとちょっと違う。儀式的な意味だろう。

 あまり大きいので、見つかったときは卒塔婆かと思われたらしい。

 遺跡自体は「神社」で、琵琶湖の水位の上昇で12世紀頃に水没したらしい。今調査しているところも、水面より低く、ポンプで排水している。