ターミネーター1では機械側が歴史を変えようとする(ジョンが存在しなかったことにする)。人間側はそれを阻止しようとする。

 結局歴史は変わらない、というエンディングだ。

 もっとも、ジョンが未来の抵抗軍の戦士の息子だ、という決定的な矛盾を残してしまったが。
 ターミネーター2ではさらに、スカイネットが作られないように、チップやパーツを壊そうとする。

 今度は人間の側が歴史を変えようとするわけだ。しかも、スカイネットができるのは、「1」で送り込まれたターミネーターのパーツが原因だということになっている。

 タイムパラドックスの上塗りだ。まあ、好意的に見れば、「1」でゆがめられた歴史を修正した、ともとれる。
 ターミネーター3では、スカイネットはターミネーターのパーツを元にして作られた、という設定をはずし、結局歴史は変えられないのだ、というエンディングにしている。

 「時間もの」を見たり読んだりするとタイムパラドックスが気になってしかたがない人間としては、T3が一番許せる。

 興行的にも成功しているようなのに、なぜか映画としての評価は高くない。
 残念ながら、サラ・コナー・クロニクルズでは設定がT2に逆戻りしてしまった。

 T3が「無かったことに」される、というのは残念だ。

 T4を見ていないのだが、どんな設定なのだろう。
 日本やイギリスのタイムトラベルものでは歴史の改変(従ってタイムパラドックス)をかなり気にしているのに対して、ハリウッド映画は問題にもしていない。

 国民性の違いか。