ちょっと大げさだが、時間の節約のために高速で行く。木之本から彦根まで500円。

 近頃気になるのは、ずっと追い越し車線を走りっぱなしの車が増えたことだ。おそらく走行車線に戻るのが面倒なのだろう。

 ちょっとハンドルを回すだけだが、それを面倒と感じる。日本人全体が衰えてきたのかなあ。
 鈴鹿山系は全体が石灰岩質だ。杉や保月の村々は石灰岩台地の上にある。

 台地の縁は急な斜面で、そこに1車線ぎりぎりの道が張り付いている。対向車が来たらどうしようか、と心配しながら走る。

 所々に行きちがえる場所があると、距離計を覚えておいて、何百mバックだなあ、とか。
 台地に登るとすぐに杉という村がある。数軒の廃屋があった。まだきれいで、住めないこともなさそうだ。

 桜が満開だった。やはり台地の上はちょっと遅いのだろうか。
 まずは高室山に登る。林道の脇に登山口があるが、無視。林道はまだ先まで伸びているので、ドンドン行く。

 山頂に一番近そうなところに車を置いて、斜面を直登する。道はないが、木が茂っていないので、薮こぎと言うほどではない。

 山頂から見下ろすと、採石場が見える。妻に見せたら古代遺跡かと思ったという。まあ、マチュピチュみたいに見えなくもない。
 高室山はほどほどにして、保月(ほうづき)に向かう。保月には10軒ほどの家が残っている。あちこちの空き地には、以前は家があったのだろう。かなり大きな村だったのか。

 しょっちゅう人が戻っているのか、荒れた感じがしない。

 家(小屋?)を建てている人が居た。お寺も開け放ってあって、人影が見える。
 小学校の跡地に車を置いて、鍋尻山に登る。途中まで道があるが、後は踏みあとだ。頂上近くになるとデタラメで、踏みあとが蜘蛛の巣のようになっている。

 石灰岩質で、木がまばらなので、山中に具合の良さそうな広場がある。整備された公園のようだ。

 昔は子ども達の良い遊び場だっただろう。
 険しいところもなく、標高差も200m程なので、保月から鍋尻山山頂まで、1時間もかからない。

 山頂もちょっとした広場で、どうしたら遭難するのか分からない。

 しばらく探し回ったら、花が2カ所に供えてあった。この辺りかと見ると、確かに危ないところがある。

 ただし、道から外れている。
 どうして遭難したのか、考えてみた。

 私の登ったコースは、
 A:車を置く。
 B:案内板。
 C:上の写真の広場。
 D:山頂付近の尾根に出る。
 E:山頂。

 一方、河内から登る道はFに続いている。この道も険しいと言うほどではない。

 遭難した人は、河内から登って、保月に下りようとしたのではないだろうか。Fから登ってきて、EからDに向かう際に、左に逸れてエチガ谷の急斜面に入ってしまったのかも知れない。
 エチガ谷側は大変急で、しかも木がまばらだ。転落すると、悪くすると木と木の間を落ちてしまう。普通に登山道を登っている中高年では転落するのも無理はない地形だ。遺体を回収するのも大変だっただろう。

 保月から、あるいは河内からピストンしていれば起きなかった事故だと思う。

 こんなところをのぞき込んでいて、転落しては笑い事ではないので、早々に下山する。
 保月から東へ抜けて、五僧へ向かう。こちらはさほど急な道ではない。

 しかし、道の両側は崖で、ずっと落石がびっしり落ちている。谷川に架かっていた橋が「おちいわはし」で、そのまんまやんか。

 下から見上げるとこんな急な崖の上に広い台地があるのが不思議な感じがする。
 林道をしばらく行くと、高校生の一団に出会った。米原高校の地学部で、巡検に来たという。

 言われてそこらの落石を見ると、ウミユリの化石がたくさん入っている。

 と立ち話をしている間にも大きな石が落ちてくるが、平気な顔で弁当を食っている。上にカモシカが居て、歩き回るので落ちてくるんですよ、とのこと。さすが地学部、豪快だ。
 道はどこもこんな具合で、大きな石はまたぐと乗り上げて動けなくなる恐れがあるので、慎重によけて通る。
 やっと人里に出るが、妛原(山女原・あけんばら・あけびがはら)から、再び林道に入る。

 ところで「妛」という字はこの村のためだけに存在する字です。

 男鬼(おおり)から武奈を抜けて、中仙道に下りる。こちらも無人の家が何軒か残っている。

 本日の走行距離160km。休憩無し。

 黄色は車。赤は登山。
 山から帰って昼寝をしていると、友人がたずねてきた。山菜採りの帰りだという。

 コゴミを一山もらう。少量の塩だけでサッとゆでて、ビールのつまみにする。残りは夕食のおかずに。

 クサソテツの若芽だから珍しいものではないが、すぐに大きくなってシダになってしまうので、こまめに山に行かないと採れない。