さすが丹生ともなると、山と里との間には高い柵が張り巡らしてある。その上、畑はこうだ。

 天井まで金網でキッチリ覆ってある。温室を建てるのと同じくらい手間がかかるのではないか。

 冬場はどうするのだろう、このままだと雪でつぶれてしまうが。
 神主さんを先頭に、行列がやってくる。この行列だけでも丹生の住人だけでは足りそうもない。

 親類縁者かき集めてやっているのではないだろうか。

 交通整理などは役場の職員だろうから、市町村合併になったらアウトだな。
 拝殿での参拝が終わると、稚児舞いが奉納される。

 笛は大人だが、舞いや太鼓は子ども達がする。丹生にこんなにたくさん子供がいるはずがないから、親戚の子供だろうか。
 この頃になると、どんどん人が増えてきて、こんな具合。

 プレスもたくさん来ていて、いよいよお祭り気分。

 プレスより良いカメラを持った爺さん達が元気がよい。でかいレンズを付けたカメラを複数台たすき掛けにして、片手に脚立、片手にカメラバッグで走り回っている。
 ただし、お行儀が問題で、一人がこのように前に出てくると、
ほかの人たちも負けじと前に出るので、こういうことになる。

 儀式の進行などはお構いなし。中にはドアップで撮ろうと、子ども達の鼻の先にレンズを突きつける人も居る。

 車に乗ると人格が変わる人が居るが、カメラを持つと人格が変わる人も少なくない。

 デジカメ以降、この傾向が顕著だ。
 山車が3台出ていた。これが実に面白い工夫がしてある。

 人形と茶わんと松の枝などを縦に継ぎ合わせて、ひょろりと高い飾りが山車の上に伸びている。

 これを2本の竹で、倒れないように支えてあるのだが、祭りのクライマックスでは、この支えをはずしてしまう。

 どうして倒れないのか、見ただけでは分からない。作り方は秘伝だそうで、知人にも教えてもらえなかった。

 この飾りは演目に従って、祭りの時に新たにつくられる。この山車は「先代萩」の御殿の場を題材にしてあるそうだ。
 こちらは岩見重太郎の狒々退治。

 どうしてこれが倒れないのか、見るものを脅かすのが作者の腕の見せ所。

 人形は上下2体を使うのが標準のようだ。

 こういう面白い祭りが無くなっていくのは残念だ。
 帰りに行列のコースを逆にたどってみると、こんな物があった。

 土を盛って結界をして、「御輿休憩所」と書いてある。

 どこもここも舗装してあって地面が見えないので、神様が疲れるだろうと、こんな工夫をしたのだろうか。
 出番がすんで帰るところだろうか。山里の午後の風景に、昔装束の若者がなじんでいる。