佐和山城のふもとに並んで、龍潭寺と清涼寺がある。

 清涼寺は井伊家の菩提寺だ。元は、あの島左近の屋敷があった場所らしい。

 龍潭寺は井伊家ゆかりの寺で、静岡から移設された。

 龍潭寺の墓の横を通って、佐和山の尾根に上がる。
 延々と墓の続く山道で、何ともはや。

 オカルト映画のロケでもやったらどうだろう。
 佐和山城跡。何にもない。

 ひとつには、石垣や建物などを彦根に持って行って、彦根城を建てるのに使ってしまったから。

 もう一つは、土塁を削ったり堀を埋めたりして、城の機能を完全に破壊したから。

 「破城」というらしい。
 佐和山城は堅固な城で、戦国の武将達が奪い合ったものだが、山としてみれば小さな山だ。

 北の端まで縦走してみたが、運動量が不十分なので、今度は横断方向に登り返す。

 これで、標高差が2回分で220m、歩行距離が5kmくらい。

 午前中に部活で田村山に登ったので、今日は3回登山したことになる。
 帰りに米原町岩脇(いおぎ)の列車壕を見に寄った。

 米原は北陸線と東海道線の接続点だ。

 ここに飛行機の攻撃から列車を守るための壕を掘ろうとしたらしい。

 完成しないうちに太平洋戦争が終わってしまって、長らくゴミ捨て場になっていた。
 戦争の遺跡として整備するために掃除したら、ゴミが何百トンも出てきたそうだ。

 何だか星新一の「おーい でてこい」みたいな話。