私は、時をかける少女の中でベストは連続テレビドラマの内田有紀版だと思う。

 時間がたっぷりあるので、登場人物の内面までしっかり描けている。

 仲里依紗版は内容に対して尺が短すぎて、どの部分も未消化のままエンディングに至る。

 これも連続テレビドラマにして、じっくり見せれば良かったのではないかな。
 

 ところで、仲里依紗版の監督も、一部の映画評論家も勘違いしていることがある。「記憶を消す」ことがこの話の重要なポイントだと思っていることだ。

 時をかける少女の中では「つくられた記憶」と「記憶を消す」ことがセットになって、絶妙の効果をあげている。内田有紀版でも、ポイントのひとつになっている。記憶を消すだけなら、そこらのSFにゴロゴロしているじゃないか。


 時かけは「泣かせる映画」のハシリのような作品だ。ところが、原田知世版で一番泣けるのは、深町の祖父母の会話、「これからも2人で生きていくんですねえ。」という場面だ。内田有紀版では、深町とゴロちゃんの別れにもホロッとさせられる。

 それらと比べると、仲里依紗版の”泣かせ方”は単調でアマい。


 内田有紀版はキャストもスタッフも豪華版なので、別格として。大林宣彦はぽっと出で演技も下手くそな2人を使って、映画史に残る作品をつくった。それに対して、こんどの映画では、演技もまずまず上手く、評価の固まってきている主演2人を使っているのに、できあがりがショボイ。

 監督の力量の差だろう。


 ただし、エンディングの曲(ノスタルジア、いきものががり)は良い。歴代時かけの中では原田知世版(松任谷由実作詞作曲)の次に良い。この映画にぴったりの曲だが、プロデビュー以前に作ったものだそうだ。映画がちゃんとできていれば、相乗効果でヒットしただろうに。


 細かい芸も楽しませてくれる。例えば仲里依紗が弓を射る場面で、矢がポロリとはずれるが、これは原田知世版の(有名な)エンディングの中に同じ場面がある。他にもたくさんあって、要するに大林宣彦をリスペクトするあまり腕の良くない監督が、精一杯つくった微笑ましい失敗作とでも言えばよいのかも知れない。