奥川並には高校の時に来たことがある。既に廃村だったが、建物はほぼ残っていた。もちろん、今では石垣しか残っていない。

 島左近がこの村で死んだとか、岐阜から静岡へ落ち延びたとかいう伝説がある。

 島左近は関ヶ原で討ち死にしたとされているが、首が確認されなかったそうなので、あり得ない話ではない。
 石田三成は高時村の古橋にかくまわれていたところを、見つけられて処刑された。己高山中に隠れて居た岩屋がある。

 島左近もいっしょに落ち延びて、少し足をのばした余呉村の山中に隠れたとしても不自然ではない。
 奥川並の廃村あたりで頑丈な通行止めがしてあるが、林道はさらに続いている。

 車が10台ほど置ける広場があるが、行儀の悪い止め方で、数台しか置けない。

 山菜採りか魚釣りか分からないが、京都や岐阜のナンバーが多い。
 一度家に帰って、午後は玄蕃尾城に登る。

 敦賀側から登る場合は、林道終点の駐車場から久々峠(刀根越え)まで5分、峠から城跡まで10分くらいで着いてしまう。

 あまりにあっけないので、もう少し歩きたければ、柳ヶ瀬から登るか、縦走して余呉トレイルをたどる。
 多分ササヤブだったのだろうと思うが、きれいに整備されている。キャンプしたら最高だ。

 あまりきれいに草が刈ってあるので、一部の土手が崩れかけている。

 これでは整備か破壊か分からんなあ、などと話す。