昔から地図を眺めるのが好きだった。峠があると、向こう側には何があるか気になって仕方がない。 初めてホハレ峠という面白い名前の峠を見つけたのは高校生の時だろうか。40年も昔だ。 その後、蕎麦粒山(そむぎやま)に登った時、そういえば・・・と思い出した。 地図上では林道ホハレ線を登ると、烏帽子山や門入へ至るようになっている。 今では林道ホハレ線はホハレ峠で行き止まりになっていて、その先は完全にヤブだ。 |
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結局、ホハレ峠までは車で、そこから先は歩いて門入まで下る。上の地図の黄色い線が、ここ数年で再生された山道だ。 ホハレ峠のお地蔵さんの所から谷に下りる道がつけてある。 黒谷の谷川につかず離れず、何回か渡渉しながら砂防ダムまで下りる。 砂防ダムから門入までは立派な林道を歩く。 |
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道は歩きやすく、急でもない。 苦しくて頬が腫れるほどだからホハレ峠と名付けられたようだが、荷物が余程重かったのだろう。 所々崩れていたり、ロープが張ってあるところがある。村の人がこまめに補修しているのだろう。 |
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砂防ダムまで1時間ほど。そこから先は立派な林道が残っている。 この林道は昔はホハレ峠までつながっていたようだが、今では痕跡しか残っていない。 ネットで見ると、この痕跡をたどって薮こぎをした人が居るようだが、死ぬ思いをしたようだ。 |
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林道脇には軽トラやバイク、自転車が置いてある。 村の人がホハレ峠を越えて帰ってきた時に、足にするためにデポしてあるようだ。 林道を1時間弱歩くと、門入に至る。 |
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門入は40戸ほどの村だったようだが、当時の建物は全くない。 分校が有ったあたりに、新しい建物がいくつか見える。 |
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えらく立派な建物がある。看板を見ると、ダムの管理用施設らしいが、避難小屋として解放しているようだ。 登山者への注意書きの看板などが立っていた。どうやら沢登りの人が多いらしい。 |
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避難小屋の隣には、これまた立派な炊事場がある。キャンプ場のようだ。 何のためにこんな物を作ったのかよく分からない。村の人が帰ってきた時に、ここで炊事をするのだろうか。 |
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時間に余裕があったので、徳山ダムのダム湖まで行けないものか、チャレンジする。 10km程なので、急げば1時間半くらいか。山道なら良いが、舗装道路を往復3時間も歩くのは、あまり気乗りのするものではない。 道ばたの草もきれいに刈られていて、この道が今も使われていることが分かる。 |
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しかし、ここがまぼろしの村である証拠には、道の中にはうち捨てられて、 | |
やがて、ダム湖の中に消えている道もある。 すべての道が水没している地点まで行きたかったが、帰りが遅くなるので、ほどほどで引き返す。 |
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振り返って、ダム湖の向こうにホハレ峠。 何時間かかけて、あそこまで登り返すのかと思うと、もう少し早く引き返せば良かったかと、後悔したり。 |
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元村民か、都会の人か分からないが、ちょっとしゃれた山小屋を建てて、アジトにしている人も居るようだ。 この小屋には「土日山荘」という看板が掛かっていた。 |
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こんなログハウスも。 どうやってここに来るのだろう。ダム湖をボートでわたるか、ホハレ峠を越えるしか無いのだが。 |
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神社跡に建てられた記念碑。 村の地図、村の歴史、1戸1戸の当主の名前と家の屋号。 |
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何しろ人がほとんど居ないので、釣りが好きな人なら極楽かも知れない。名古屋方面から来たという数名の釣り人が居た。 | |
やっと門入まで引き返してきた。林道入り口の沈下橋。 ここで10分ほど大休止。いよいよ峠まで登り返す。1日歩き回って、最後に登り道というのは、ちょっときつい。 |
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ヘロヘロになって峠まで戻ると、まだ釣り人の車が数台残っていた。 足がつりそうで、アクセルもブレーキも上手く踏めない。こわごわ林道を下って、何とか高時村に帰りつく。 |
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