シャーロックホームズと言えば、普通はジェレミー・ブレットを思い浮かべるだろう。

 これも、原作に忠実なホームズ像のひとつだ。

 例えば、ホームズはちょっと外出するのにも鹿撃ち帽にインバネス、というおかしな格好をするイメージが固定化している。これは原作にはない。

 しかし、ジェレミー・ブレットはちゃんと普通の格好で外出している。
 
 原作のホームズは、ボクシング、フェンシングの達人だ。ピストルで部屋の壁に文字を描けるほど射撃も上手い。ライヘンバッハの滝では「日本のバリツ」という武道で、モリアティ教授を滝壺に投げ込んでいる。

 悪党がウジャウジャいるロンドンの裏町にも平気で出かけていく。要するにアクション派だ。

 気に入った事件がないと部屋にこもって麻薬にふけり、事件が始まると身なりも気にしない。部屋は散らかり放題で、大家さんのハドソン夫人を悩ませている。

 というわけで、確かに今回のロバート・ダウニー・Jrのホームズ像は原作に近いとも言える。

 もっとも、鹿撃ち帽にインバネスという服装は、現代で言えば登山の格好で街中を歩くようなものだ。つまり、ホームズの変人ぶりを強調した服装だから、ロバート・ダウニー・Jr版もこの系統と言えなくもない。
 
 ワトソンも太った中年のヤブ医者、というイメージが定着しているが、原作にそんなことは書いていない。

 アフガニスタンから帰ってきたばかりの軍医で、戦争で足にけがをしていて機敏には動けないが、危険な場面も平気で、必要ならピストルもぶっ放す。
 
 ワトソンは、「四つの署名」事件でホームズに助けられたメアリー・モースタンとちゃっかり結婚している。

 「第2の汚点」事件では、ホームズに「女性のことは君の領分だ」と言われている。

 メアリーの死後(離婚後?)、すぐに他の女性と結婚している。

 ということから、ワトソンは結構イケメンの女好きだった可能性がある。

 もっとも、メアリーはホームズが「彼女なら助手にしても良い。」というくらい聡明な女性だったので、ワトソンの外見より内面に惚れたのかも知れない。(ホームズは女性の評価に関してはきわめてきびしいので、「助手にしても良い」というのはとびきりの賛辞だ。)

 今回の、ジュード・ロウのワトソンは”有り”だろう。
 
 

 今回、ホームズとワトソンは斬新な解釈になっていて、賛否両論がある。私はホームズの「正典」は全部読んだし、ホームズのパロディやパスティーシュ、ホームズ物以外のコナン・ドイルの本もかなり読んだが、今回の映画が変だとは思わない。

 むしろ、ハドソン夫人やレストレイド警部が「普通」だったのが残念なくらいだ。いつも出てくるのに、容貌の記述が少ないハドソン夫人などは、もう一ひねりあっても良いのに。
 


 ついでに、原作のことを考えてみる。

 もとは雑誌の連載で、設定も厳密でなかったので、話があちこち矛盾している。

 ホームズの推理は雑で、しかも後出しジャンケンみたいなことをよくやる。たとえば、「君は、今朝どこそこへ行ったね。」と言い当てる。「どうしてわかるんだ」と驚くと、「ズボンのすそにどこそこにしかない土がついている。」と説明する。読者は「そうなのか」と思うしかない。

 要するに本格推理小説と言うよりは探偵小説だ。探偵小説の古典なのであって、今時の推理小説などと比べれば、まともな推理などはもとから有りはしないのだ。今回の映画を「推理がおかしい」とか書いた批評があるが、原作をよく読まないで書いているのだろう。

 性的な言葉はマイルドに言い換えてある。例えば「ああ良かった、まだ強姦されていない。」を「ああ良かった、まだ結婚式はすんでいない。」という具合。知らないと、誘拐事件の途中に突然結婚式が出てきて、訳が分からなくなる。