駐車場がいっぱいだったらあそこに駐めようとか、リフトの行列がめんどくさいとかちょっと警戒して出かけたのだが。

 連休中というのに駐車場も空いているし、リフトもノンビリしたものだ。

 人の心は移ろいやすく、今は平清盛ゆかりの地に人が集まっているのだろう。
 山頂にある像。ブロンズのように見えるが、さわってみるとFRPだ。

 ブログや旅行誌にまで「落ち武者」とか書かれたりするが、作者の意図は違うようだ。横に書いてあるんだから、ちゃんと読めよ。

 一戦終わって、くたくたになって座り込み、これからの戦いや死んだ家来たちのことを思っているところ、だそうだ。
 北を見ると、眼下に余呉湖や、賤ヶ岳の合戦の主戦場になった余呉の山々が見える。

 織田信長の死後、織田家を守ろうとする柴田勝家と、自らが権力者になろうとする羽柴秀吉がここで決戦した。

 結局、秀吉が勝ち、信長の後継者となることが決定づけられた。
 それに比べると関ヶ原の合戦などは地味なものだ。

 徳川家康は数々の方策によって豊臣家の勢力を衰退させ、流れはすでに決定されていた。

 関ヶ原の合戦は、豊臣方の残存勢力を一網打尽にした、いわば在庫一掃セールだ。

 「歴史の語り部」(とでも言うのかな)の周りに2,30人の人が講釈を聞いている。
 賤ヶ岳から南に続く尾根。その先は山本山に至る。

 あまり標高差のない約7km程の良い縦走路だ。山本山に登っていると、賤ヶ岳から来ましたという登山者によく出会う。
 西野水道に寄って帰る。子供たちが小さい頃に、懐中電灯を持って通り抜けたことがある。結構な肝試しだ。

 江戸時代に5年の歳月と1000両以上の金をかけて、岩盤を手掘りで掘り抜いた、長さ200mほどの水路だ。

 一時閉鎖されていたが、今は自由に入れる。怖いけどね。
 西野水道は次々に拡張されて、3本が平行している。古い2本には今は水が流れていない。

 釣り人が琵琶湖に出る通路として使っている。