超常現象の研究
戻 る

 私は超常現象が好きで、若い頃から心霊スポットにテントを張ったり、
お墓などでは必ず写真を撮ったりしている。

 テレパシーやテレキネシスやテレポートの練習もした。

 しかし、何十年やってみても、残念ながら、
これは確かに超常現象だ、といえる事象に出会った事はない。

 それでも、どうにも不可解だ、という程度の経験の2,3は有る。
どれも随分古い話なので、細部については定かでない。

各自、解釈を試みられたい。


 I高校の鏡

 これは私が経験した事だ。

 私はI高校で情報処理の担当をしていて、成績処理システムを自前で構築する事になった。

 作業はCAI準備室でしていた。準備室を出ると、真正面に鏡がある。
 
  
 今にして思えば、たいしたシステムでもないのだが、当時はコンパイラもフロッピーベースという有様で、コンパイルをかけているうちに、ラーメンを作ってゆっくり食うくらいの時間は有った。そんな事で、連日、夜の10時頃まで一人でプログラミングをしていた。

 作業が済むと、部屋の明かりを消して、準備室を出る。古い校舎なので、廊下の明かりは薄暗い。

 準備室のドアの真正面に高さが2m程もある大きな鏡が壁に取り付けてある。部屋から出る時にいやでもその鏡を見る事になる。

 誰もいない夜中の学校で、大きな鏡をのぞくのは気持ちの良いものではない。しかし、大の大人が鏡を怖がっていてはかっこ悪いので、私はいつもわざと鏡をじっくり見てから帰る事にしていた。


 その日も、わざとのように鏡をのぞき込み、変な物が映っていない事をしっかり確かめて、ヒゲが伸びたなあ等と考えながら、廊下の電気を消して帰った。


 次の日は少し早めに出勤したので、事務室で世間話などしていた。(出勤簿が玄関横の事務室に置いてあるので、毎朝職員室に行く前に事務室に寄って、出勤印を押す。)そこへ業務員のNさんが入ってきたので、ひとつホラ話でもしてやろうと考えた。

 「Nさん、僕なあ、昨夜の10時頃に帰ろうと思って準備室を出たんや。そしたら、あの鏡に髪を振り乱した女が映っとってな・・・」

 と、そこまで話したら、Nさんが話をさえぎって、「そら映らんやろ、先生。あの鏡は昨日3年生のSが蹴飛ばして、割ってしまいよったがな。」と言う。

 そう言えば、昨日、職員室でしかられたSが、悔し紛れに鏡を蹴飛ばして割ってしまったのだった。S自身も割るつもりはなかったようで、ビックリして自分で謝りに来ていた。


 そんなバカな、と、CAI準備室の所へ行ってみたが、確かにそこには鏡は無かった。


 では、昨夜確かに見た鏡は何だったのだろう。自分だと思って、しげしげと眺めた無精ヒゲのあの姿は誰だったのだろう。
 





 N高校の少女

 これも私の経験だ。

 職員室から続く廊下を突き当たって右に曲がると生物実験室、左が化学実験室だ。

 実験室の前の廊下には窓がないので、電灯をつけないとかなり暗い。

 その日は雨が降っていた。化学実験室の入り口は窓のない廊下の突き当たりにあって、夕方のように薄暗かった。


 6時間目が終わり、時間を見計らって化学実験室に行くと、すでに一人の女子生徒がドアの横に立っていた。掃除当番の1年3組の生徒だろうと思って、「おっ、ご苦労さん」とか何とか声をかけて、ドアの鍵を開けて一歩踏み込んだ。

 片足を突っ込んだところで、ふと用事を思い出して、その足を引き戻しながら、「ちょっとすまんけど・・・」とその生徒に声をかけた。

 しかし、そこには誰もいなかった。目を離したのは片足を実験室に入れて戻すゼロコンマ何秒かだが。

 その一瞬で隠れる場所など無いし、そんな事をするとも考えられない。


 一瞬にして消えてしまったあの女子生徒は誰だったのだろう。

 






 キツネの嫁入り

 これは私の家族が経験した事だ。今でも時々その時の事が話題になって、「あれは何やったんかな。」「綺麗やったなあ。」「不思議なもんやったなあ。」と話をしている。

 昭和30年頃の春。明け方の3時か4時の事らしい。当時、私は赤ん坊だったので、この話は家族から聞き取ったものだ。



 まだ真っ暗な中、小便に起きた祖父が家の裏山の中腹にズラリと光の点が並んでいるのを見つけた。

 これはキツネの嫁入りに違いないと、祖父は家族を起こしに行った。祖母と叔父と母が出て行ってみると、光は山の中腹というよりは、山より手前の空中に並んでいるように見えた。

 光の様子は、松明を並べたようで、ゆらゆら動いていたが、行列のように移動しているようには見えなかった。

 叔父は、「あれはキツネがだましとるんや。遠くに見えるけど、ほんまはすぐそこに居るに違いない。」と言って、さかんに石を投げたが、反応は無かった。

 遅れて父が起きてきた頃には、辺りは薄明るくなってきて、火も見えなくなってしまったそうだ。

 



 巨大な火の玉

 祖父がまだ若い頃だから、大正か昭和の初めの話だ。年末の11月か12月のことらしい。

 村の役員が集まって、村の会計の集計をしていた。(当地では会計を「勘定」、その役員を「勘定方」という)。

 作業は夜中になって、祖父は小便に出た。(便所は別棟になっていることが多い。)

 ふと見ると、竹藪の向こうに大きな火の玉が、わずかに揺れながら、宙に浮いている。火は真っ赤で(距離が分からないので、確かではないが)、洗濯のたらいくらいの大きさに見えた。

 祖父は、他の人を呼びに言ったが、祖父以外は見る事が出来なかったらしい。

 それは、他の人が見に来なかったからか、見に来た時には消えていたのか。祖父が亡くなってしまったので、詳しいことは分からない。

 



 以下、その他の話

 上の4つの話は、まず間違いのない話だ。一体何だったのか、解釈は出来ないが、本当に有ったことだと思ってもらって良い。

 これからあげるのは、もう少し信憑性が落ちる。と言っても、ウソというわけではない。

 上の話のように、私や私の家族の経験ではないので、(・・・というと大変失礼な言い方ではあるが、)絶対にウソや間違いが含まれていないとは言い切れない。という程度のことだ。

 私は当事者の人柄を知っているので、おそらく本当のことだと思っている。

 



 S太郎さんの家のこと(1)

 以下、話が長くなりそうなので、3つに分ける。

 S太郎さんの家で起きたことだ。

 S太郎さんとM江さんは当時90歳近くの老夫婦で、2人で暮らしていた。

 M江さんが風邪をこじらせて肺炎になって、木之本の湖北病院に入院して2週間ほどたった。

 S太郎さんが夜中に目を覚ますと、M江さんが布団の横に座ってS太郎さんをじっと見ていた。S太郎さんは気味が悪かったが、多分M江さんが死んだのだろうと思って、黙って見返しているうちに、また寝てしまった。



 次の日S太郎さんが病院に行くと、M江さんは生きていて、むしろ元気になっていた。

 S太郎さんが昨夜の話をすると、M江さんは「大分良くなって家に帰りたいのに、医者さんが帰れと言ってくれない。帰りたくて帰りたくて仕方がない。昨夜は、『救急車で送ってもらって、家に帰ったら、あんたは寝てしまっていて、起きてきてくれないので、私はおこって、あんたの寝床の横に座って、あんたを見ている夢』を見た」と言った。

 どうやらM江さんは、家に帰りたい気持ちがつのって、たましいだけが家に帰ったのかもしれない、と話し合ったそうだ。
 



 S太郎さんの家のこと(2)

 上の話と同じ日のこと。S太郎さんの隣のTさんの話だ。

 Tさんの家は、Tさん夫婦が母屋に、Tさんのお母さんが離れに住んでいた。

 お母さんが起きてきてTさんに、「昨夜M江さんが帰って来やはったんか。」と聞く。Tさんが「知らんけど、何で。」と答えると、お母さんは、

 「夜中に目を覚ましたら、外でワイワイ言う声が聞こえるので、のぞいてみた。そしたら、救急車が止まっていて、担架でS太郎さんとこへ、運び込むのが見えた。こんな夜中におかしい。もしかしたら、M江さんが死んだんかも知れん、と思ってた。」と言う。

 そんな騒ぎがあったらTさん夫婦も気がつくはずだし、実際、M江さんも帰っていないので、お母さんの夢だろう、ということになった。



 後日、TさんがS太郎さんにその話をしたら、「M江さんが救急車で家に帰る夢を見た」話をしてくれたそうだ。

 どうやらM江さんの夢の中に、Tさんのお母さんや、S太郎さんも入り込んでしまったような具合だ。あるいは、3人で同じ夢を見た、と言うべきか。
 



 S太郎さんの家のこと(3)

 上の話から数年後。S太郎さんもM江さんも亡くなって、家が空き家になってからのことだ。

 同じ村のKさんが結婚した。

 Kさんと同居していたご両親は、新婚夫婦だけで暮らさせてやろうと気を利かせた。家をKさんに明け渡して、自分たちは空き家になっていたS太郎さんの家を借りて移り住んだ。

 移り住んだその夜中に、外でワイワイ言う声がする。誰かが家のまわりをグルグル回りながらしゃべっているらしい。近所の人が何かしているのか、迷惑なことだと怒っていたが、そのまま寝てしまった。

 次の日も同じ事が起きたので、Kさんのお父さんが外へ出てみたが、誰もいなかった。

 そんな事が一日おきくらいに起きて、だんだん気持ち悪くなって、我慢できずに十日ほどで家に戻ってしまったそうだ。



 その話を聞いてから、私は、夜その家の側を通る時には、家の中をのぞき込んだりしてみたが、変わった出来事に遭うことはなかった。



 今は、その家は取り壊されて空き地になっている。


 



 幻聴

 ネットをぶらついていたら、「妊娠中ですが、時々鈴の音が聞こえるんです。どうしたら良いでしょう。」という、記事が有った。

 夜中にヒソヒソ声が聞こえたり、足音が聞こえたりという話はよくある。



 私も、山の中で、誰も居ないはずなのに人の声を聞いたことが何度もある。女の人の声であることが多い。数人の女の人がワイワイ話している声のようだが、耳を澄ましても何を言っているのかは分からない。しかし、確かに聞こえる。



 恐らくこれは心理的な物ではなく、生理的な現象だろう。

 人は物事をパターン化して理解することが出来る。例えば、図形や文字の一部が隠されていても、それが何だか分かる。あるいは、壁のシミが人の顔のように見える。

 これは「錯覚」というようなマイナスの現象ではなく、素早く少ない情報から物事を理解できる能力だ。欠けた情報を補完して、元の情報を再構成する。



 聴覚でも同じ事が起きる。雑音の中から「意味のある音」を抜き出す能力だ。雑踏の中でも人の会話が理解できる。

 壁のシミが人の顔のように見えるのと同じで、無意味な音が人の声のように聞こえるのは、人の「能力」だろう。