10,11,12月の日記に戻る

 一昨日自転車で2回も登ったので、今日は初めから日和って、砥谷橋の広場まで車で行く。

 道が崩れていたりするし、対向車があると面倒なのだが、昨日の様子では何とかなりそうだ。

 因みに、私は地元の人に許可をいただいたが、通行止めになっているから、勝手に入らないこと。
 徒渉があるし、林道の廃道はぬかるんでいることが多いので、山靴でなくてゴム長靴で行く。

 大正解だった。山靴なら中までグチャグチャになるところだった。

 ただし、靴底が山靴に比べて柔らかいので、崩落箇所などでは足の裏が痛かったが。
 広場から河原に下りて、すぐに徒渉し、右岸の廃道を下流に向かって進む。

 道はこんな具合で、時々立ち止まって、透かして見ないと、道から外れてしまう。

 しかも泥んこのグチャグチャで、イノシシの足跡だらけだ。

 イノシシの親子連れがウロウロしていた。
   地形図で見ると道がZ型に折れ曲がっている所がある。2万5千の地図では、なぜ曲がっているのか分からない。

 行ってみると、そこには砂防ダムがあった。なるほど、Z型に折り返して、堰堤の下に下りるわけだ。

 ヤブの中なので、グーグルアースでも見えない。
 砥谷川と八草川の合流地点を少し進むと、八草村の碑は案外簡単に見つかった。

 北海道に集団移転した人たちの子孫が、先祖を偲んで、昭和の終わり頃に建てた碑だ。

 行動食のヨウカンとお茶をお供えした。
 碑には八草村の歴史や、この碑を建てるに至った経緯などが書いて有る。

 碑文の全文はここをクリック。
 しかし、そこは私が考えていた場所とは違う。

 ほとんど平地のない所に集落があったとは考えにくい。

 そこで、さらに八草川をさかのぼると、400m程先にそれらしい平地があった。
 そのあたりを探すと、ほとんど崩れた石垣があちこちに有る。

 歩き回っている内に、だんだん様子が見えてくる。

 メインストリートらしい長く続く石垣。その両側に並ぶ、1軒1軒の家。

 多分20~30戸の、結構大きな集落だ。
 村の跡を十分歩き回ったので、また碑の所を通って帰る。

 日の当たらない所は草があまり生えていないので、元の道の様子が分かる。

 軽トラくらいは通れる立派な道だ。多分、八草村が離村した後にできた林道だろう。その林道もまた自然に還ろうとしている。
 長年探していた、先祖に御縁の地が見つかったので、満足して帰る。

 何しろ酷道303号なので、対向車が来たらどこまでバックするか考えながら、ユルユルと帰る。