4,5,6月の日記に戻る

 己高山の古橋側の登山口の近くに案内板がある。

 この地図を見ると、鏡岩は南谷を詰めたところにあるようだ。しかし、正確な地図ではないので、およその場所しか分からない。

 高時川から見えたのだから、谷からかなり登ったところだろう。
 歩いても良いのだが、昼までに帰ると言ってきたので、車で登れるだけ登る。

 こんな時、軽トラは有り難い。軽トラでなければ、こんな所にホイホイ登れるのはジムニーくらいだろう。

 ランクルやパジェロでは大きすぎるし、なんちゃってSUVでは話にならない。日本のSUVは、国際基準の最低地上高20cmを満たしていない車が多い。
 もっとも、軽トラの最低地上高も20cmも無いが、ホイールベースが極端に短いので、悪路走破性能は高い。

 車ではいよいよ行き詰まって、歩く。

 ここは、元は林道で橋が架かっていたようだが、道も橋も流されて、その後に歩いてわたれる橋を架けたようだ。

 その橋も朽ちて、今はこんな感じ。おそるおそる渡る。
 洗われてしまって見る影もないが、元はここに林道が通っていた形跡がわずかにある。

 谷川沿いにつけた林道はこうなる事が多い。
 このあたりは川から離れていて、かつて道だった事がよくわかる。

 写真奥に杉の植林地が見える。

 以前は、このあたりまで車で作業に来る事ができたのだろう。
 石垣らしい物が見える。

 林道ができる以前の構造物らしい。江戸時代や、もっと以前には人が住んでいたのかも知れない。

 或いは作業小屋のようなものか。
 川筋が変わって、ちょうど道だったところが川になってしまっている。

 う~ん、これはどうしたものか。

 幸い水量が少ないので、川沿いに少し登ってみた。
 道は無く、ヤブになっている。

 テープがついているから、ここ数ヶ月のうちに登った人が居るようだ。

 おそらくこのヤブを突っ切れば、また林道の跡が見つかるのだろうが。

 昼までに帰ると言ってきたので、今日のところは無理をせず、ここで引き返す。
 古橋まで下りてきたが、昼にはまだ時間があるので、法華寺跡へ行ってみた。

 林道だが舗装してある。こけが生えていてスリップするので、気をつけて走る。
 奥行きが随分あって、これだと鶏足寺(旧飯福寺)より規模が大きい。

 登って行くと、平地が沢山有って、ここに建物があったとすると、相当の大寺院だ。
 最上部は神社になっている。

 元々、伊波太岐神社がそこにあって、8世紀ころに、境内に法華寺がつくられたそうだ。

 江戸末期に法華寺が衰退して、神社が復活した、とある。

 石田三成は幼少の頃、この寺で学んだという。
 境内の池の上に張り出した木の枝には、モリアオガエルの卵がいくつかぶら下がっていた。

 池の中にはイモリが、ごちそうはまだ落ちてこないのかと、待ち遠しそうに見上げていた。

 私も腹が減ったので、道草はこれくらいにして帰る。