奥の院におまいりするのに、一の橋からずっと歩く人は割合少ない。大概は中の橋にバスで乗り付けて、そこから歩くだろう。 昼過ぎに着いたら、中の橋駐車場はほとんどいっぱいだった。平日なのに。 |
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駐車場の目の前から参道が真っ直ぐ延びている。 一の橋からの参道と並行していて、途中からそちらへ行く事もできる。 少し戻る事になるが、中の橋に通じる小道もある。 |
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参道の両側には沢山の供養塔や墓が並んでいる。ユニークな物も多い。 動物供養塔。これは比較的普通な感じだ。 |
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しろありの供養塔。 そう言われても、大量殺戮されて、安らかに眠れるかどうか。 |
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「愛犬の碑」。 手前にあるのは飼い主の墓だろうか。ともかく、犬の碑の方が手間がかかっていそうなのは確かだ。 犬好きの気持ちが表れていて、ほほえましい。 |
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これは新明和工業の物故者慰霊碑。ロケット関係の仕事をしていて、この碑はアポロ11号を模しているのだそうだ。 | |
会社ごとに慰霊碑が沢山有る。 これは日産自動車。これだと慰霊碑らしい感じがする。 新しい慰霊碑では、会社のロゴがでっかく目立っていたりして、何のための慰霊碑かちょっと首をかしげる。 大きな慰霊碑が会社のステータスなのか、むやみにでかいのがある。 |
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名村造船所の物故者慰霊碑の隣にあった創業者の顕彰碑。 気持ちは分かるが、意味合いがだんだんお墓から離れていくような。 |
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供養塔と言えば、軍人さんの供養塔や墓が大変多い。 | |
こういう建物もある。 供養塔に書かれた言葉は、命をかけて残して下さった平和を大切にしたい、というものが多い。 |
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奥の院に到着。手前は御廟橋。この橋の奥は、聖地の中の聖地。 この橋から奥は撮影禁止なので、杉の木の間だから見える遠景のみ。 どこを指して奥の院というのか分からないが、ここから見えるお堂のさらに向こうに空海の廟があって、そこへは行く事はできない。 |
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お堂の奥では熱心な信者が般若心経を唱えていたりする。 私たちも2日間かよって10巻あげてきた。 橋の手前には水掛け地蔵さんがたくさん並んでいるので、端から順に丁寧に拝んできた。 |
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こういう出で立ちの人々は四国八十八カ所へおまいりした事のある人が多いようだ。 奥の院では声を合わせて般若心経を唱えたりして、他の観光客と少し違う。 |
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こちらは仏教系の高校生。毎年、1年生はおまいりする事になっているのだそうだ。 奥の院におまいりした後は、弥勒石のところでキャアキャア大騒ぎしたり、歌を歌いながら三々五々帰ったり。 まだ信心が必要な年齢では無さそうだ。 |
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途中にある汗かき地蔵と、姿見の井戸。 のぞくと水面に自分の姿が映る。 もし、自分の姿が見えなければ、寿命が尽きているという事だそうだ。 幸い、私は「クッキリ」とよく見えた。 |
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参道の両側には無数の墓が並んでいる。 2日間で230枚の写真を撮ったが、そのほとんどはお墓の写真だ。 何か不思議な物が写っていないかと思ったが、皆無だった。 |
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浅野家の墓所というのが複数あって、浅野内匠頭の墓はまた別にある。。 | |
四十七士の墓は、浅野内匠頭の墓のすぐ横にある | |
他の宗旨の聖人の墓も沢山有る。 法然上人の墓。 |
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親鸞聖人の墓。 宇宙教開祖の墓、とか新興宗教の教祖の墓らしいものも多い。 |
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武将や大名の墓も多い。先ほどの宗教系の高校の1年生も、「はい、まず豊臣秀吉のお墓を見てから、つぎは弥勒石へまわって下さい。」とか言われて、ぞろぞろ歩いていた。 私は、秀吉や信長には興味がないのでパスして、これは明智光秀の墓。 |
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石田三成の墓。 | |
母は奥の院が目的なので、着いたその日と、二日目の朝におまいりして、もうそれで良いという。 まあせっかく来たのだからと、金剛峯寺にまいって帰る。 |
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