4,5,6月の日記に戻る

 水谷(すいだに)から林道を上りきった突き当たり。

 後谷(うしろだに)は廃村のようだ。しかし、新しい建造物が有った。何かの作業所のようだ。

 別荘かも知れない。山奥の廃村に別荘を建てる人が時々居る。
 後谷からさらに上流を見ると、砂防の向こうに、どうやら鉱山らしきものが見える。

 ググってみると、住友セメント多賀鉱山跡らしい。

 尾根の向こう側(男鬼から仏生寺に抜ける道の途中)から登れるようだが、今日のところはやめておく。
 鉱山跡を見上げていたら、大型の猛禽類が2羽飛んでいくのが見えた。

 イヌワシだ。
 屏風(びょうぶ)への分岐には立ち入り禁止の鎖がしてあった。

 廃村に残っている家に勝手に入り込んだりする人が増えているためだろう。廃村マニアのホームページには屋内の写真も多い。

 鎖にカギが付いているわけでもないので、はずせば通れるのだが、無理をするのはやめておこう。
 では、というわけで一旦芹谷(せりだに)に降りて、甲頭倉(こうずくら)への登り口へ行ってみた。

 ここも厳重に通行止めがしてある。こう厳重に止められると、かえって通りたくなる。

 次回、自転車を積んで来るか徒歩で登ってみよう。
 芹川を河内(かわち)までさかのぼって、霊仙(りょうぜん)に入る。

 霊仙の入り口の村、入谷(にゅうだに)。木が繁って、斜面に並んだ家々を隠し始めている。
 広場の木の根元にブリキ板が打ち付けてある。

 毎月第一日曜 故郷の日 想起・感謝・奉仕しましょう。

 離村してしばらくは、時々帰ってきて手入れをしていても、やがて足が遠のいていく。
 落合(おちあい)ももう人が住んでいないと思うが、今度の参院選のポスターがしっかり貼ってあるのが面白い。
 ちょうど昼飯時に、男鬼(おおり)に着いたので、ここで休憩。

 男鬼には何度か来て、一度泊まった事もある。以前はふもとの小学校の合宿にも使われていたそうだ。

 来る度に櫛の歯が抜けるように家が無くなっていくのが寂しい。
 男鬼の村はずれに日枝神社がある。

 どこの廃村でも、家々が崩れ落ちていくのに比べて、お寺と神社は最後まで守られているのが、村の人々の思いを感じる。

 心をそこにとどめるには、よりしろが必要なのだ。
 男鬼から少し武奈(ぶな)の方に進んでみると、谷川の橋の向こうに鳥居が見える。

 名前はよく聞くが、まだ行った事がない、比婆神社だ。

 ずいぶん遠方からもお参りがあるらしい。

 古事記には、伊邪那美(イザナミ)は「比婆山」に葬られた、とある。
 地形図を見ると、かなり登った先に鳥居のマークがあるから、そこが本殿の場所らしい。

 669mのピークの山が「比婆のやま」と呼ばれていたようだ。

 距離にして2km、標高差200m程だ。歩けば30分程か。

 鳥居より先まで車を乗り入れるのもどうかと思ったが、足の調子が悪いので、失礼する。
 その2kmの道のりは大変険しい。というか、危険。

 この写真は、比較的ましなところ。路肩が崩れているので、斜面側に乗り上げて通過するような所もある。

 (滅多に来ないと思うが、)もし対向車でも来たら、そんな道を100m程もバックする事になる。
 登り切ると、車が20台くらいは置けそうな広場になっている。

 広場の脇に鳥居が有って、その前に参道らしきものが有る。その先をたどってみると、ふもとの方からずっと道が続いていた。

 車道が出来るまではこちらを登っていたのだろう。(上の地図には一部が点線で残っている。)
 鳥居から少し進むと門がある。門は閉まっているが、脇を通れる。

 何か工事をしているらしく、足場が組んである。
 奥に入ってみると、何と本殿が無い。

 どうやら改築中らしく、基礎工事の途中だった。

 本殿の後の磐座(いわくら)がご神体かも知れない。ググってみると、ここには洞窟があったようだ。

 祭神が伊邪那美(イザナミ)なので、黄泉国へ下る道があるのは尤もな話だ。
 辺りは石灰岩地帯なので、実際に存在するのかも知れない。

 脇に仮の社(といっても立派なものだが)が有ったので、こちらにお参りしていく。

 ともかく、山中にこんな立派な神社があるのには驚く。本殿の改築をする金はどこから出るのだろう。近在はすべて廃村なのに。
 比婆神社から降りる途中、斜面の杉林に何となく違和感を感じた。どうも地形が不自然だ。

 車を止めて、少し登ってみると、直径が7,8mのドリーネがいくつかあった。

 比婆神社の後ろには大洞窟があって、出入り口も山中に何カ所か有る、という話ももっともだ。
 さて、比婆神社から降りて、武奈へ向かう途中に、こんな案内が有った。

 聞いた事があるような気もする。進行方向なので、出来たら寄ってみようと思う。
 武奈(ぶな)はほとんど建物は残っていない。

 石垣の様子からして、かなり大きな村だったようだが。
 武奈から少し行くと、こんな分岐があった。

 とりあえず突っ込んでみたが、これもなかなか手強い道だった。

 慎重に1km程進むと、広場に出る。
 広場には彦根土木事務所・武奈中継局というアンテナが建っている。

 車が数台置けるので、ここに車を置いて少し登る。
 山頂近くの広場。

 巨大な杉の側に鳥居と祠がある。ここが北原竜宮、大杉竜王らしい。

 樹齢2,000年と書いてある。2,000年はどうだか知らないが、立派な杉である事は間違いない。

 鳥居は傾いて倒れかけていた。
 祠の前に資料などが有ったので、お賽銭を上げて、一部もらってきた。

 ここは大杉神社、祭神は伊邪那岐(イザナギ)だという。すなわち、比婆神社とセットだという事になる。

 後で調べると、所在が北原(きとら)となっている。武奈集落の小字名だろう。これが、北原竜宮の名称の由来か、あるいは逆か。
 祠にお参りして、さて帰ろうかと思うと、林の中にマーキングがあるのに気付いた。

 さては、こちらへ来い、という事か。

 と思って、林に分け入って、少し登ると・・・。
 山頂に、しめ縄を巻いた大岩があった。

 もしかしたら、こっちがご神体かも知れない。

 見回すと、さらに向こう側にもマーキングがある。

 向こう側の斜面を降りてみた。
  男岩と女岩。この間を神々が通られたという。

 通ってみたが、特に何も起こらなかった。

 向こう側にも道がありそうだが、今日は山登りではないので、この辺りで引き返す。
 帰りに、鎌刃城の側を通ったが、こいつは時間がかかるので、また別の時に来よう。

 青龍の滝から番場方面の道は、さすがに問題有りなので、西坂に降りて、高時村に帰る。


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