10,11,12月の日記に戻る

 県道781号をどんどんさかのぼる。片道ギリギリの林道だ。対向車が来たら、どこまでバックすれば良いか考えながら進む。

 随分山の中にポッカリと「京都精華大学伊谷記念朽木学舎」というのがある。

 荒れた感じで、あまり使われているようには見えないが、グランドに草は茂っていない。管理はされているようだ。
 さらに進むと、高島市立朽木西小学校がある。

 この谷の住民は恐らく高齢者ばかりなので、小学生がいるとは思えない。多分、不登校の生徒などの受け入れ先になっているのだろう。

 しかし、どうやって登校する(教師は通勤する)のだろう。隣の建物は寮かな。
 こんな小屋があった。

 「過疎なれど、住めば楽園、永遠の里」とある。
 この谷の最深部。生杉地区。

 新しい住宅が二棟有る。前に来たときは、片方しか住んでいなかったのだが、今見ると、両方に車が止まっている。

 高島市が、若い人を誘致しようと、住宅を提供したと聞いたが、どうして生活しているのか。人里まで通勤するのは無理だろうし。
 小入谷地区を越えて、少し行ったところで林道は通行止めだった。残念なり。

 2発続けてきた台風で路肩が崩れたらしい。夏のうちに来ておけば良かった。

 いつもの車なら通行止めをどけて入っていくのだが、今日は新車なのでやめておく。

 峠は諦めて、朽木の谷をうろつく。
 781号線を進むと、すぐに峠に至る。峠には百里ヶ岳の登山口がある。

 ここも登ってみたい山だ。尾根が中央分水嶺になっている。標高差400m、距離は往復7kmほどなので、ハイキング程度だ。

 おにゅう林道が通れたら、峠に車を1台デポしておく手もあるな。
 峠を越えると、道はかなり良くなって、車がすれ違える道幅の部分がかなりある。

 山中の一軒家の「ギャラリーやまぐち」というのが有った。人影がないので、無断で入らせてもらった。

 もともとこの地の人か、絵を描くために移り住んだのか。
 枝谷があると、奥まで入り込んで引き返す、というように道草を食いながら少しずつ谷を下る。

 とある谷に入り込んだら、作りかけの立派な橋と道があった。後で調べたら、ダムを造る予定が、長らく放置されているようだ。
 朽木から安曇川に出て、マキノを通って帰ることにする。

 メタセコイア並木には、まだかなりの人が来ていて、通り抜けるのが大変だった。

 ここはホコ天でも駐車場でもないぞ、とかブツブツ言いながら何とか通り過ぎた。
 マキノから在原を抜ける。

 在原業平の墓に寄って、お参りする。

 在原業平の晩年についてはよく分かっていない。墓は全国に3箇所ほど有るらしいが、もちろんここが本物だ。
  
 結局行けなかったが、「おにゅう峠」はかつての「鯖の道」のメインストリーム「針畑越え」の峠だ。

 かつては京と若狭を行き交う人も多かっただろうし、豊かな山の暮らしがあっただろう。今は、そのほとんどの村が消えていこうとしている。