4,5,6月の日記に戻る

 大見を通って、赤子山スキー場から登ることにする。

 大見バイパスの橋も開通して、一部が未接続だが、一応通れる。

 大見の村の中の細い道を通るよりマシなので、そちらへ行ってみた。
 バイパスから林道が分岐していて、この先から菅山寺に登ることも出来る。

 このコースは標高差も少ないので、以前は登りやすかった。

 しかし、こちらから登る人が少ないので、今は登山道が荒れている。
 赤子山スキー場。

 標高差は100mも無いだろうか。ミニスキー場だ。

 夏場のキャンプ場としての方が賑わっているかも知れない。
 ウッディパルには何台かの車が止まっていた。

 連休をコテージで過ごすつもりだろう。
 ウッディパルの横から林道を登ると、山頂まで車で行けてしまう。

 山頂の駐車場は広くて、ここでアマチュア無線の移動運用をしているのを何度か見かけた。
 2,3分も歩かないうちに菅山寺への下降分岐に至る。ここは坂口や木之本からの道との十字路になっている。

 このコースで菅山寺に登るのは、「山登り」でなくて「山下り」だ。

 いきなり下りなので、ヒザが痛い。ソロリソロリと降りる。
 道ばたに歴代住職の墓がある。

 無住になって久しいので、墓も崩れた物が多い。
 山門。

 両側のケヤキは樹齢1300年。菅原道真が44歳の時に1本の梅と共に植えたという。

 梅の木は残っていない。

 道真は903年に59歳で没しているので、1300年では多すぎるが、まあ、誤差範囲内ということで。
 菅山寺の石垣に生えるユキノシタ。

 アントシアンが多くて、普通のユキノシタより赤が随分濃い。

 浸透圧の実験のために、何度か採りに来たことがある。

 家の近くに移植してみたが、色が褪せてしまった。土壌の違いか、水のせいか。
 お目当ての鐘楼。

 あらまあ。破損がひどくて、崩れかけている。

 梵鐘は取り外して、坂口に降ろしてあるようだ。

 せっかく来たのに。残念なり。
 経堂。

 賤ヶ岳の合戦で焼失して、江戸時代に再建された物。

 再建された時には、収蔵されるべきお経は無かった。

 いつかお経を収めたいとの思いから建てられたものだ。
 屋根が壊れ始めている。

 こうなると崩壊までは早い。数百年立ち続けても、人が居なくなると、あっと言う間だ。

 あと10年くらい、長くても20年はもたないだろう。

 本堂など、他の建物も同様か、さらに破損が進んでいる。
 菅山寺には宋版一切経一万巻が収められていたが、徳川家康が聞きつけて、強奪していった。

 東京の芝増上寺には3種類の一切教があるが、そのひとつだ。国指定重要文化財になっている。

 いつか取り戻して、ここに収めたいと、作られた輪蔵。

 空のまま数百年守り続けられたが、ついに経を収められることなく朽ちようとしている。
 朱雀池。菅原道真がお気に入りの場所だったそうだ。

 石を投げると雨が降るといわれる。

 小学校の遠足の時、イタズラをして、一天にわかにかき曇り、ずぶ濡れになったことがある。
 クロツグミを撮りに来たという人。

 今日はカメラを持った人によく会う。

 帰りにウッディパルで、撮影会か何かのイベントかと聞いてみたが、知らないと言う。

 夏になると、アカショウビンを撮りに来る人が多いらしい。
 朱雀池のほとりにある近江天満宮。

 こちらも屋根が崩れかけている。

 若い頃、遊びに来た時は立派な建物だったのに、とシンミリする。

 池をグルッと回って帰る。
 帰りに坂口の菅山寺里坊「弘善館」へ寄ってみた。

 ここに菅山寺の梵鐘が有るらしいが、無人でカギがかかっている。

 観光協会にでも連絡して、後日また来よう。