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 シャーロック・ホームズが大ヒットして、我も我もと名探偵が大量生産された。

 しかし、残念なことに、ホームズの推理術を継承する名探偵はいなかったようだ。その技術は、結局、近代的な警察に引き継がれることになった。



 ホームズは自分の推理方法を、「演繹的推理」と呼んでいるが、そのネーミングには疑問がある。

 ホームズのやり方はこうだ。

 事件の現場へ行くと、ともかく証拠を集める。役に立つか立たないかも分からない。結論を出すのに不十分なことも多い。

 それらを元に、可能な限りの「仮説」を立てる。「僕は、これらの証拠を上手く説明できる仮説を少なくとも4つは考えられるよ。」「仮説は立てられるがね、ワトソン。不十分な証拠で結論を出すのは優秀な探偵のすることではない。」

 そして、さらに捜査を続けたり、証言を集めたりして、仮説の中から真実を絞り込んでいく。

 ホームズの有名な言葉がある。「不可能なものを切り捨てていけば、残ったものがどんなに信じがたいことでも、それが真実でなくちゃならない。」

 こういうやり方は「演繹的推理」ではなくて、「帰納的推論」と言うべきではないだろうか。



 これは他の探偵と比較してみれば分かる。例えば、エルキュール・ポアロ。彼は、「私は犬のように這いつくばったりはしません。」と言っている。

 ポアロは現場を歩き回ったり、証言を集めたりして、事件の全体像をイメージする。そのイメージからほぼ直感的に犯人を割り出す。

 そして、「犯人はもちろん彼です。それ以外考えられません。ただ、証拠が無いのです。しかし、ポアロからかくし通すことは出来ません。」

 ポアロはジグソーパズルの全体像をまずイメージして、そこに合うピースを探し出す、というやり方をする。

 これは前近代的な警察のやり方で、犯人の目星をつけておいてから証拠を探す(なければ作る)。

 他の探偵も似たようなもので、金田一耕助に至っては、ずっと「分からない」と頭をかき続けておいて、終盤に近づくと、「なんてことだ、そうだったのか。」と、いきなりひらめく。



 ホームズがこのような科学的推理法を用いることになったのは、作者のコナン・ドイルが医者だったからというのもあるだろう。



 結局、ホームズ的探偵はその後も現れることはなく、警察小説に引き継がれることになる。それは、近代的な犯罪捜査法が確立されると、素人探偵の出る幕が無くなってしまったからだ。