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本文とは関係ないが、三献の茶について調べるうちに、興福寺官務牒疏(こうふくじかんむちょうそ)という文書に出会うことが再三あった。 滋賀県内の寺の説明や地誌に、「興福寺官務牒疏によれば云々」と引用してあることが多い。資料に乏しい江戸時代以前について調べる時、興福寺文書は重要な手がかりだ。 ところが驚いたことに、この文書は椿井文書と呼ばれる偽書群の代表作であるという。 ここまで私が書いてきたことの中にも興福寺官務牒疏に関わることがいくつかあるので、このことについて触れておく。 椿井文書というのは、興福寺の椿井政隆(椿井権之輔)(1777〜1837)によって作られた膨大な量の偽書の総称だ。 椿井政隆は興福寺の事務方のようだ。 意図ははっきりしないが、おそらく、興福寺の権威を裏付けるためや、小遣い稼ぎではないかと思われている。 「興福寺の末寺には、こんなに沢山の立派なお寺があるんですよ。」というわけだ。そこで、それぞれの末寺の記述はかなり大げさに書いて有るのではないかと思われる。 興福寺官務牒疏の中に興福寺の末寺のリストがある。 例えば、己高山関係であれば、 巳高山五箇寺 在伊香郡。 法華寺 僧房百二宇。衆徒五十口。 行基僧正艸創。本尊藥師佛。 石道寺 僧房三十八宇。衆徒二十口。 本尊觀世音。延法上人開基。 觀音寺 在巳高山頂。僧房十二宇。 本尊觀音大士。泰澄大師開基。巳高山隨一也。 高尾寺 在巳高山頂。僧房十二宇。 屬觀音寺。 安樂寺 同山。僧房十二宇。 右觀音寺別院。飯福寺。鶏足寺。圓滿寺 石道寺。法華寺。安樂寺。 という記述がある。 |
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