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三献の茶

石田三成の「はじめ」と「おわり」

石田三成は、関ヶ原の合戦で徳川家康と天下を争った。江戸時代において、家康の宿敵である三成の行跡は徹底的に隠蔽され、あまつさえ有りもしない悪行まで創作された。
と言うわけで、これほどの人物としては歴史資料が意外と少ない。
その中で、三成が初めて歴史に登場する「三献の茶」と、死を目前にした「オトチの洞穴」について書いてみよう。

ギャラリー

1.三献の茶とは

まだ子供だった石田三成が、初めて城持ち大名となった若き豊臣秀吉と出会う。秀吉は三成の才智を喜び、直ちに家来に召し抱えた。
この「絵本太閤記」の一節が「三献の茶」として知られる逸話だ。

2.絵本太閤記と砕玉話

江戸時代に出版されたこの2冊が「三献の茶」の話の出典だ。
絵本太閤記は大ベストセラーで、売れすぎて発禁になったほど。

3.近江輿地志略

近江の国の歴史を学ぼうと思うなら、第一に読むべき本。
江戸中期に、当時としては可能な限りの歴史的事実とその根拠を集めた、一級の歴史資料。

4.法華寺と観音寺

三献の茶の舞台となった「ソノ寺」とは一体どこであるか。
名前が挙がっているのは「法華寺」と「観音寺」だが、決め手はない。

5.観音寺説

三献の茶はともかくとして、三成が子供のころ寺で学んだとすると、それは法華寺か観音寺か。

6.観音寺説の無理

絵本太閤記から出た「三献の茶」の観音寺説。これを推す人も多いが、若干の無理がある。

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根っから遊び人故、あまり作業が進まない。気が向いたら書きたい内容はたくさんあるので、あまり期待せずに待たれよ。

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