6.観音寺説の無理
←5.観音寺説の根拠   ・「三献の茶」にもどる  7.法華寺説補足→

  
 先に私は、史料の探索からは、「ソノ寺」は法華寺三珠院だと結論した。

 しかし、前節に述べたように、観音寺を推す人も多い。

 ここでは、観音寺説の問題点と、法華寺説の傍証をあげておく。



【宗派の問題】
 法華寺は初め真言・天台を兼ねていたが、永禄6年(1269年)真言宗に改宗している。元禄9年(1609年)「古橋村寺社差出帳」に「山城醍醐寺報恩院末」とある。(醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山。)

 一方、観音寺は法相宗だったのを弘和3年(1383年)に天台宗に改宗している。

 さて、続武将感状記(志士清談) には次のような記述がある。

 『石田治部少輔三成は幼名佐吉其父・・・佐吉を近郷真言寺の兒小姓とす或時秀吉公此寺に参詣佐吉が容貌起居の他に優れたるに依りて住持に請ふて近習の臣とす・・・』

 これに該当しそうな「真言寺」という寺は近くに無いので、「真言寺」とは「真言宗の寺」という意味だろう。従って、「ソノ寺」は法華寺だということになる。(少なくとも観音寺ではない。)



【観音寺の焼失】
 観音寺へ行ってみると、案内板に次のような記述がある。
    
 「後の姉川合戦の際、悲しいことに当寺の伽藍を破壊して、横山城を増築し、寺院は焼失して焦土と化した。」

 その後、秀吉が観音寺を再建した、とある。

 これは明治29年に当時の山主が書いたものだ。
 
 この観音寺の焼失や秀吉による再建については裏づけが無い。しかし、焼失しなかったとも言い切れない。

 もしこれが本当だとすると、姉川の合戦で焼失し、秀吉が長浜城主になってから再建したのだから、ちょうど「三献の茶」の時期には観音寺は存在しなかったことになる。



【観音寺の焼失に対する反論】
 逆に、その時期に観音寺はちゃんと存在した、焼失してはいない、と考えられる遺物もある。それは、信長の歌だ。

 これは観音寺に残る額だ。

 元亀2年(1571年)に、織田信長が観音寺に宿泊した際に詠んだ歌だという。

 とすれば、その時期に観音寺は存在した事になる。

 これも後に書かれた額なので、確証とは言えないが、ウソとも言えない。
  


 では、「ソノ寺」を観音寺だと主張する人が、法華寺ではないとする理由への反論を書いておこう。それは法華寺と長浜城の距離についてだ。



【法華寺は長浜から鷹狩りに行くには遠すぎる】

 これは、普段車で移動している人が、「歩いて20kmも離れたところへ遊びに行くのは遠すぎる。」と思うところに間違いが有る。

 実際には、秀吉が馬に乗って、家来が駆け足でついてくる状態であれば、1日で長浜から法華寺の往復(40km)などは、むしろ余裕の距離であると言って良い。



 私の身の回りの例をあげてみよう。



 これは明治時代の話だ。私の祖父が子供のころ父親(私から見て曾祖父)に連れられて、日帰りで京都の東本願寺にお参りした。

 祖父と曾祖父は、汽車代をケチって、家から長浜港まで歩き、そこから汽船で大津まで行き、大津から京都まで歩いた。

 本山にお参りして、逆コースで帰ってきた。もちろん、朝の3時頃に家を出発して、夜中に帰ってくるという強行軍だった。

 祖父は「本当に辛かった」と言っていたが、結果から言うと、「我が家から長浜港まで+大津から京都まで」(長浜城から法華寺までより、かなり遠い)を1日で往復することは小学生でも出来た、ということだ。



 これは昭和になってからだ。私の叔父は西浅井小学校で教員をしていた。我が家から西浅井小学校までは15kmある。短期間ではあるが、これを徒歩で通勤していたという。

 さすがにしんどくて、1ヶ月ほどでいやになって、小学校の近くに下宿したらしい。ともかく、15kmは徒歩での通勤距離としてなんとか可能だった。



 私が高校1年の夏休み、友人2人と3日間の徒歩旅行に出かけた。その最終日、福井県今庄から滋賀県木之本町まで歩いた(途中、峠越えもある)が、その距離は37kmだ。



 一般的な話を付け加えると。

 ジョギングは無理のない速さ(時速7,8km程度)で走る。40kmなら5,6時間になる。

 現代のマラソン競技では、約40kmを3時間弱で走る。各種マラソン大会の時間制限は大体5,6時間程だ。

 南アルプストレイルランニング(山の中を走る競技)45kmのトップは4時間ちょっと、時間制限は9時間だ。



 参考だが、「美濃大返し」というのがある。賤ヶ岳の合戦の時に、秀吉の軍は、大垣から木之本までの50kmを5時間で駆けつけたという話だ。まあ、ちょっと大げさかも知れない。



 要するに、20kmを「1日で往復する距離としては、遠すぎる」と考えるのは、軟弱になった現代人の思い違いだ。